X Japan Rocks New York – HEATH

X JapanのベーシストHEATH

ベースを手に国境を越え、夢を実現

 

TJ: 音楽を始めたきっかけについて教えてください。
HEATH: 子どもの頃から音楽が好きで、家庭の中に常に音楽が鳴ってる状況だったんですね。というのは、僕の家には楽器がちょこちょこ転がってたり。やり始めたのは、小学生の四年生ぐらいの時かなぁ。出身は兵庫県です。

TJ: X Japan加入のきっかけは?
HEATH: 大阪の方で、バンドを組んでまして、で、僕が21歳の時に、東京に出てバンドをしようっていう決心をしたんですね。で、ちょうど僕の知り合いの方がHIDEさんとすごく交流のある方で、そこでHIDEさんを紹介してもらったんですね。僕は東京でバンドを作って違うバンドをやってたんですけど、ある時HIDEさんから電話がかかってきて。東京出て来て2年ぐらい経った時かな。「ちょっとスタジオ来て音出ししてみない?」っていう風にお誘いを受けたんで、Xの曲を5曲ぐらいコピーをして、スタジオに行ったんですね。で、その時は加入してくれとかそういう話は一切無くて、ただちょっと音を合わせたいからということで。で、スタジオに行ったらもうメンバーさんが全員いらっしゃって。5曲ぐらい演奏して、僕はすぐ帰ったんですけど、帰った後にまたすぐHIDEさんから連絡がありまして。「皆がちょっと気に入ったみたいだから、ちょっと話して」っていう風に。「Yoshikiととりあえず話してよ」ってHIDEさんから言われたんで、お話しに行きました。そこで初めて、ちょっとこれから海外も含めて色々活動していきたいんだけど、やってくれないかなということで、そこでyesって言いました。

TJ: X Japanの成功の秘密は何でしょうか?
HEATH: やっぱり応援してくださるファンの方たちの思いがすごく伝わってくるバンドなんですよ、X Japanって。それにこう、魂を揺さぶられてる感じもします。僕個人的には。それが原動力となって前に進んで行けるという。それが成功…というか、まだまだだとは思うんですけど。まだ海外の方にも出たばっかりなんで。

TJ: X Japanの成功の秘密は何でしょうか?
HEATH: やっぱり応援してくださるオーディエンスの方たちの思いがすごく伝わってくるバンドなんですよ、X Japanって。それにこう、魂を揺さぶられてる感じもします。僕個人的には。それが原動力となって前に進んで行けるという。それが成功…というか、まだまだだとは思うんですけど。まだ海外の方にも出たばっかりなんで。

TJ: X Japanのメンバーでよかったと感じるのは?
HEATH: そうですね、一番の楽しみはやっぱりすごく個性的なメンバーが揃ってるので、毎回音を出す度にすごい刺激があるんですね。興奮するというか。スタジオでリハーサル中でも、各個人のパートの楽器が鳴り出すとすごく興奮する。

TJ: 一番難しいことは?
HEATH: 一番難しいのはスケジュールの調整ですね。

TJ: ご自身の性格について教えてください。静かな方ですか?それともよく話す方ですか?
HEATH: 普段は静かな人ですね。お酒を飲むとよくしゃべるんですけど。

TJ: HIDEさんとのご関係は?
HEATH: HIDEさんは僕より3つ歳が上なので、やっぱりすごくお兄さん的な存在で。いつも心配して見てくれてるような、心の優しい人ですね。

TJ: Toshiさんについて教えてください。
HEATH: うーん、Toshiさんも年上なので、よく声掛けてくれたりしますね。もう皆優しいです。見た目とは違って(笑)。

TJ: Yoshikiさんの一番良いところは?
HEATH: そうだなぁ、一番となるとちょっと難しいのですが、やっぱり尊敬できるアーティストであり、プレイヤーです。Yoshikiさんの叩くドラムの音がすごく好きなんですね。ライブでカウントが鳴った瞬間に全身が包まれるような感じ。それがこう、音となって会場に響き渡る感じがすごく気持ちよくて。そういうのを出せるプレイヤー、アーティストの方は少ないと思うので、すごく尊敬できる。

TJ: PATAさんについてはいかがですか?
HEATH: PATAさんも優しいです。PATAさんも同じくギターサウンドがすごく個性的で。ライブの時は隣がPATAさんだから、僕が一番近くで演奏することになるんですけど、あのレスポールとマーシャルアンプから出されるギターサウンドがすごく気持ちよくてね。あれはまたPATAさんにしか出せない音なんだなぁと思います。

TJ: X Japanが解散した後、PATAさんとは同じバンドで活動されていましたよね?
HEATH: はい、Dope HEADzです。

TJ: SUGIZOさんについて教えてください。
HEATH: SUGIZO君はそうだな、すごく真面目で、寡黙で。何て言うのかな、すごく真面目な人です。

TJ: 音楽に対して?それとも全般的に?
HEATH: そうですね、真面目な人ってこういう人のことを言うんだなって思うくらいすごく真面目ですね。リハーサルですごく熱心に音作りとか皆より早く入ってやってたり。すごく寡黙っていうのかな。

TJ: プロのミュージシャンとして一番難しいことは?
HEATH: 難しいところ…そうだなぁ、メンタルを保つところですかね。

TJ: 一番楽しいことは?
HEATH: やっぱりライブ。ライブって楽しいなっていうのと、あと音楽やってると、たくさんの出会いもあるし。X Japanで海外のツアーとかもやらせてもらったりして、音楽を通じてまたたくさんの人と出会えて、またどんどん前進していけるっていう喜びがあります。そこが好きですね。

TJ: 横浜アリーナとマディソン・スクエア・ガーデンで演奏されましたが、大きな違いは何でしたか?
HEATH: そうだなぁ、あまり違いは感じなかったんですけど、セットリストも同じだったのかな?確か。なんだけど、回数を重ねるとやっぱりこう、仕上がって来るというか。横浜アリーナのステージも素晴らしかったんですけど、マディソン・スクエア・ガーデンはさらに何て言うかな、固まってたと思います。えっと、良いものになってたと思います。

TJ: 海外に住まれたことは?
HEATH: ロスに少し。Xに加入してすぐぐらいにロスに行きましたね。何年くらいいたかな?3年ぐらいいましたかね。

TJ: 外国に住むとしたらどこに住みたいですか?
HEATH: 一度ニューヨーク行ってみたいです。

TJ: 英語は勉強されていますか?
HEATH: はい。少しずつ。

TJ: 夢は何ですか?
HEATH: そうですね、ロックを通して国境を越えるっていうのが1つのハードルだったんですけど、今回X Japanが復活して、1つの大きなハードルを越えてマディソン・スクエア・ガーデンとかの海外ツアーもできたので、さらにたくさんの海外の人たちにもX Japanのいいところを知ってもらえるように頑張って行きたいです。それが夢ですね、次の。夢は実現していかないとっていう。

 

 

 

Photograph by Adrian Wilson

X Japan Rocks New York – PATA

X Japanの不動のギタリスト

ロックに生きる真のロッカー

 

TJ: 音楽を始めたきっかけについて教えてください。
PATA: 中学生の時、妹がアコースティック・ギターを持ってたんですよ。それでテレビとかでチープ・トリックとかを見てちょっとギター弾いてみたいなーと思って。それで触ったのが初めてかな。

TJ: 譜面を読む勉強をされましたか?
PATA: はい。楽譜や本を見てよく練習しました。

TJ: 譜面を読むのは得意ですか?
PATA: いや(笑)。

TJ: 初めてバンドに参加したのはいつですか?
PATA: 16歳の時、高校の友達と一緒に始めたのかな?Head Rockか、Black Roseっていう名前のバンドだったかな。ちょっと忘れちゃった。ギターでした。アイアン・メイデン、ラウドネス、ジューダス・プリーストのカバーを2年ほどやってました。その後、オリジナルの曲をやるバンドをやったかな。そこでドラマーが抜けてしまって、でYoshikiに会うわけです。それが1985年。19か20歳の頃でした。YoshikiとToshiはXをやっていて、でもXはメンバーがToshiしかいなかった。Yoshikiは3週間くらいうちのサポートをしてくれていて、それで知ってました。で、Xがギタリストが抜けてしまってメンバーを探していたと。ある年のお正月ぐらいにYoshikiから電話がかかってきて、ギターを弾いてくれって言われたんですよ。そこからなんか知らないけどずるずるといますね。それが始まり。

TJ: X Japanのどんなところが特別ですか?
PATA: メンバーだからわからない。だってね、中にいるからわかんないよ。

TJ: ToshiさんとYoshikiさんについて教えてください。
PATA: Toshiは歌うまいよね。Yoshikiは、何だろう、あのドラムには持ってかれます。そこに尽きるんじゃないかな、もう。エネルギーの塊みたいな奴だから。最初に昔やってたバンドに入ってくれって言ったことがあるんですよ。だけど、逆にXに入ることになっちゃった、みたいな。

TJ: HEATHさんについてはいかがですか?
PATA: HEATHは途中から入って、頑張ってくれてるよね。とても寡黙と言えば寡黙。割とおとなしいかな。あまりしゃべらない方だけど、フレンドリーな人ですよ。

TJ: Yoshikiさんから、PATAさんはお酒を飲むとよくしゃべると伺ったのですが。
PATA: その通り。今度はぜひお酒を飲みながら。その方が楽だ。

TJ: SUGIZOさんについて教えてください。
PATA: SUGIZOはLUNA SEAやってる頃から知ってる。一緒にギターを弾いたのはXで初めてかな。バンドで一番気を使ってくれる人かな。

TJ: SUGIZOさんとPATAさんはよくライブの後一緒に飲みに行かれるそうですね。SUGIZOさんがお二人は昔ながらのロッカーで、ライブの後には飲みに行かないと気が済まないとおっしゃっていましたが。
PATA: うん、セットだからね。ライブとお酒。

TJ: デリケートな質問ですが、亡くなられたHIDEさんとTAIJIさんとの良い思い出について教えてください。
PATA: 一番良いのはやっぱり一緒にステージに立ってられたことかな?まぁあとは一緒に飲んでたぐらいかなぁ。

TJ: マディソン・スクエア・ガーデンはいかがでしたか?
PATA: まぁ楽しかったなっていうのが一番なんですけど、うーん、なんだろう。ステージに立てて良かったなーと思うかな。マディソン・スクエア・ガーデンの。特別な思い入れはありました。レッド・ツェッペリンの「The Song Remains the Same」で育った人ですんで、一緒かと思えば、ちょっと嬉しかったの。

TJ: 横浜アリーナで再びライブをしていかがでしたか?
PATA: あぁ、久しぶりだったしね。とりあえずどこでも楽しいかな。おっきくてもちっちゃくても、どこでもとりあえずステージの上は楽しいや。

TJ: 海外に住まれたことは?
PATA: ロサンゼルスでアパートを借りたことがあります。3〜5年くらい。

TJ: 将来海外に住む予定は?
PATA: 明日の飯の予定も立ってねぇからな・・・わかんねえっす。

TJ: 夢は何ですか?
PATA: 死ぬまでギター弾いてられたらいいかなぁ。そんなもんでいいんじゃないっすか(笑)。

TJ: マディソン・スクエア・ガーデンが終わって、これからライブをしたいところはありますか?
PATA: うーん、どこにしよっかな・・・ヤンキース・スタジアム(笑)

TJ: 若いミュージシャンに向けて何かアドバイスはありますか?
PATA: やってりゃ楽しいことあるんじゃない?ってか、keep on rockin’ってことじゃないですかね。

TJ: ありがとうございました。PATAさんはクラシックなロッカーですね。
PATA: 俺をクラシックにしないでくれ(笑)。まだ生きてるよ(笑)。

 

 

 

Photograph by Adrian Wilson

X Japan Rocks New York – SUGIZO


衝撃のギター&バイオリンSUGIZO

その胸中をストレートに語る

 

TJ: マディソン・スクエア・ガーデンはいかがでしたか?
SUGIZO: 最高でした。名誉ある場所で、ベストを尽くしました。世界各地から来たファンの皆からの熱い思いを感じました。ライブの間中、結束感がありました。僕にとってはそれが一番大切で、すごく嬉しかったです。僕のギタープレイはベストではありませんでしたが、あの情熱は最高でした。X Japanのファンの皆が本当に大好きです。素敵な人たちです。

TJ: なぜギタープレイはベストではなかったと感じられたのですか?
SUGIZO: わかりません。いつももっと良くなるだろうと思っていますし、ミュージシャンとして成長して、もっと良くしたいと思っています。

TJ: 9月の横浜でのライブと10月のマディソン・スクエア・ガーデンでのライブはどう違いましたか?
SUGIZO: スタッフはほとんど一緒でしたが、ステージが違いました。マディソン・スクエア・ガーデンのステージは本当に小さいんです。東京ドームや横浜アリーナの方がずっと大きいです。そこが大きなチャレンジでした。でも、第一印象は「マディソン・スクエア・ガーデンってそんなに大きくないんだ。オッケー、オッケー。わかった」という感じで、リラックスすることができました。

TJ: ファンの皆さんはどうでしたか?
SUGIZO: 最高でしたよ、もちろん。いろんな人種の人が来てくれていて、素晴らしい光景でした。彼らの気持ちや情熱が、本当に素晴らしかったです。いつでもまた皆のために演奏したいです。

TJ: ギターもバイオリンも素晴らしい演奏ですね。バイオリンはどこで習得されたのですか?
SUGIZO: 両親がオーケストラの団員で、音楽教育にすごく熱心だったんです。バイオリンを始めた時はまだ3歳だったので、初めて弾いた時のことは覚えていませんが、両親の思い入れが強すぎて負担でした。小さい頃はバイオリンを弾くのが嫌いだったし、音楽も嫌いでした。

TJ: ご両親はお二人とも東京都交響楽団の団員だったのですよね。
SUGIZO: はい。それで子どもの頃、強制的にバイオリンを習わされました。子供の気持ちなんて考えてなかったのだと思います。ただプロの音楽家になってほしかったんです。

TJ: 英語はどうやって勉強されましたか?
SUGIZO: 英語は得意ではないんです。娘に毎日笑われています。この子が娘の瑠奈です。カリフォルニアに住んでいます。

TJ: 初めまして。アメリカには長く住んでおられるのですか?
LUNA: はい。ずっとこっちに住んでいます。

TJ: 娘さんには幼い頃から音楽を教えられましたか?
SUGIZO: いえ。本人がやりたいのなら、もちろん何でも喜んで教えてやろうと思います。今は歌をやりたいようです。歌とダンスが好きみたいです。聞いてみてはいるのですが、どうなんでしょうね。今は18歳で、難しい年頃です。娘が望むなら心から応援しますが、本人次第ですね。

TJ: アメリカに住んだことは?
SUGIZO: ありません。ロンドンには、初のソロプロジェクトのレコーディングで1年ほど住んだことがあります。ロンドンにはたくさん友人がいたし、現地の文化やミュージック・シーンなど、丸ごと楽しみました。ドラムとベースの層が厚いんです。イギリスのテクノやヒップホップは素晴らしいと思いました。僕のギターの師匠である土屋昌巳氏と、僕の親友で、日本でベースをやっていたミック・カーン氏と遊んだりしました。ミックは数年前に亡くなったのですが。

TJ: X Japanとの出会いは?
SUGIZO: LUNA SEAがインディーズ・ロックで有名な目黒でライブをしていた頃、X Japanはすでに日本では大スターでしたが、僕たちが演奏していた小さなライブハウス「目黒鹿鳴館」でもライブをしていました。最初にHIDEさんと会ったのは1990年、僕は20歳くらいで目黒のパブだったと思います。X Japan の中ではHIDEさんと最初に知り合いました。音楽について語り合い、親しくなりました。

TJ: HIDEさんとは親しかったのですか?
SUGIZO: はい。HIDEさんが僕のことをYoshikiさんに紹介してくれました。HIDEさんは兄のような存在でした。後輩ミュージシャンのことをいつも気にかけてくれたんです。とても優しくて、かわいいところもありました。でも時には激しい一面を見せたり、やんちゃをすることもありました。どんな時も魅力的でした。

TJ: HIDEさんのことを思い出す時、どんなことを思われますか?
SUGIZO とても寂しいです。魅力的な人柄がとても恋しいです。もう一緒にはいられないんだと改めて感じます。 かつてはいつも一緒に飲みに行って笑ったり、一緒に演奏したりしていました。あの頃がとても恋しいです。亡くなる前の年に行き違いがあって、亡くなる直前は関係がこじれてしまっていました。そんな中でHIDEさんが亡くなってしまい、当時は素直になれませんでしたが、今は彼の素晴らしさを思い出します。とても良い思い出です。

TJ: なぜ当時うまくいっていなかったのですか?
SUGIZO: 原因は音楽的なことです。兄弟げんかのように、ささいなことがきっかけでした。

TJ: ミュージシャンとして、HIDEさんのことをどう思いますか?
SUGIZO: アイデア豊かな人でした。アーティストとしての創造性に優れていた。彼はただのうまいギタリストではありたくなかった。ギタリストであるだけでは満足できず、アーティスト、ギタリスト、ボーカリスト、プロデューサー、クリエイターとして、もっとスケールの大きなことをやりたかったんです。ミュージシャンとしてたくさんの顔を持つ彼から僕は大きな影響を受けました。HIDEさんは本当に、まれに見る才能に恵まれていました。

TJ: HIDEさんがLUNA SEAを発掘したということになるのでしょうか。HIDEさんがSUGIZOさんをYoshikiさんに紹介したんですよね?
SUGIZO: はい、そうです。

TJ: そしてYoshikiさんのエクスタシー・レコードがLUNA SEAのアルバムをプロデュースしたのですか?
SUGIZO: はい。HIDEさんは僕たちとエクスタシー・レコードの仲を取り持ったキューピッドです。

TJ: HIDEさんとYoshikiさんの関係は?
SUGIZO: 兄弟のようでした。親友だったと思います。HIDEさんが、Yoshikiさんのお母さんのように感じられる時もありました。Yoshikiさんのことを気遣い、心から大切に思っていました。いつも僕に、「僕はいつかYoshikiの本を書く。僕には書ける」と言っていました。HIDEさんはYoshikiさんのことをいつも見ていて、「Yoshikiのことを完璧に理解することはできないけど、興味が尽きない人間だよね。見ていて面白いよ」と言っていました。

TJ: どちらが年上ですか?
SUGIZO: HIDEさんの方がYoshikiさんより1歳上でした。

TJ: HIDEさんが亡くなられたことは本当にお辛かったでしょうね。
SUGIZO: はい。本当に辛かったです。兄を亡くしたようでした。

TJ: 音楽に何か影響はありましたか?
SUGIZO: どうでしょう。音楽が変わったかどうかはわかりませんが、僕の心はおそらく変わったと思います。HIDEさんの優しい、素敵な精神を受け継ぎたいと思っています。

TJ: メンバーの皆さんからSUGIZOさんは真面目で練習熱心だと伺いました。今日インタビューさせていただいたHEATHさんも、そうおっしゃっていましたよ。
SUGIZO: 僕から見れば、HEATHさんこそとても真面目なミュージシャンだと思います。ステージ裏でもいつもベースを弾いているし、四六時中練習しています。素晴らしいプレイヤーだと思います。

TJ: Yoshikiさんと一緒にお仕事していてよかったと思うことは?
SUGIZO: 何より、Yoshikiさんの音楽に触れられること。人間的にも素晴らしくて、兄のような存在です。

TJ: 年齢差は?
SUGIZO: 4歳違いです。Yoshikiさんは誕生日をXにしているので、秘密かもしれません(笑)。でも、皆知っていますよ。僕より4歳上です。

TJ: Yoshikiさんの一番ユニークなところは?
SUGIZO: すごくマイペースなことですね。

TJ: ご自身のドラムのビートと同じなんですね!
SUGIZO: そうですね(笑)。

TJ: Toshiさんについて何か教えてください。
SUGIZO: 僕と話す時、彼は非常にシリアスです。とても尊敬していますが、ミステリアスでもあります。すごく優しいんですが、ステージに立つと別人のようになります。歌声が素晴らしいですね。Toshiさんの歌声が本当に好きです。あんな人は他にはいません。

TJ: PATAさんについてはいかがですか?
SUGIZO: 僕はPATAさんが大好きです。仲が良くて、一緒に飲んだりします。X Japanのワールドツアーでは、Yoshikiさんはたくさんのスタッフや友人などを引き連れ、Toshiさんともども外に繰り出していましたが、PATAさんと僕は2人で飲んでました。ギタリストの性なのかもしれません。飲まなくては!と思うんです。僕から見ると、PATAさんは天性のロック・ギタリストです。彼のギターサウンドを尊敬してるし、スタイルも大好きです。

TJ: なぜX Japanはこれほど成功したのでしょうか?
SUGIZO: 音楽の力だと思います。X Japanにはすごくカリスマ性があります。90年代初めの音楽ファンが求めていたのは、X Japanが生み出す力強くて美しい音楽だったんです。

TJ: X Japanのメンバーでよかったと感じるのは?
SUGIZO: X Japanの好きなところはたくさんあります。今もHIDEさんとつながっていると強く感じるし、ステージに一緒にいるような気がすることもあります。ギターを弾く時、僕は一人じゃありません。何かスピリチュアルなものを強く感じます。一緒に演奏したいというHIDEさんの意志と思いを、時々、いえ、ステージではいつも感じます。僕は一人じゃないと思えることがとても嬉しいです。

TJ: X Japanでの一番の思い出は?
SUGIZO:ワールドツアーです。3年前に長期のワールドツアーをやりました。どこの国も、どこの会場も素晴らしかったです。世界中のファンの皆さんが大好きです。もう一度会いたいファンがたくさんいます。僕の一番の思い出は、ファンひとりひとりの顔や魂、声、涙、そういったもの全てです。

TJ: ご自身の考えを巧みに発信なさっていますね。
SUGIZO: 僕は世の中に対していろいろ意見を持っています。それはアーティストの使命だと思っています。例えば、今の日本の政治情勢は非常に厳しいですが、僕はどんなことにも僕なりの考えを持っています。友人やファンを大切に思うからこそ、皆と意見を共有したいと思っています。

TJ: 坂本龍一氏と共演しておられますが、坂本氏は積極的な社会活動や環境への関心、反原発の主張で知られていますね。
SUGIZO: はい。彼は僕の良き師です。13歳の頃から大ファンでした。実際にお会いしたのは1995年だったと思います。日本の音楽雑誌のインタビューでお会いしました。もちろん、僕は大ファンですと言いました。すると、喜んでくれました、いえ、そうだといいんですが。とにかくそれが最初の出会いでした。

TJ: 政治的に影響を受けましたか?
SUGIZO: 彼には僕を感化しようなんていう気は全くなかったんですが、僕は彼から多くを学んだと思います。僕に一番大きな影響を与えたのは娘ですね。娘が生まれて、全てが変わりました。政治や哲学について考えるようになりました。娘が生まれる前は、僕はまるで子供でした。社会に対して何の責任も感じておらず、全然気にもしていませんでした。でも、娘を持って初めて、次世代のために世の中をより良くするのは自分たちの責任なのだと気付きました。

TJ: 選挙戦出馬のご予定は?
SUGIZO: ありません。でも、良い政治家の方々は応援したいです。社会問題を無視しないことは、全てのアーティストにとっての責任です。

TJ: どのような問題に一番関心がありますか?
SUGIZO: 例えば、エネルギー問題や生態系に関する問題、もちろん日本の景気や戦争、原子力発電などにも関心があります。世界中の人が平和を望んでいると思います。戦争をしたがるのはごく一部の人たちで、それはお金のためです。原子力発電に関しても同じです。それによって利益を得る、ごく一部の権力者が支持しているのです。今、日中韓の関係は非常に複雑ですが、音楽ファンやアーティストはそんな状況を望んでいません。例えば、僕たちは中国のファンの皆さんが大好きで、中国や韓国の素敵なファンの皆さんもX Japanが好きです。それは素晴らしいことです。権力に固執する一部の保守的な政治家によって対立が生まれていることが残念です。でも、僕たちアーティストやミュージシャン、映画やエンターテインメント業界の人たちのほとんどは、ひたすら平和を望んでいるのです。

TJ: 今後の個人的なご予定は?
SUGIZO: 今は東京に住んでいてとても忙しくしています。生まれ育った神奈川の町が大好きで、1日休みを取って故郷で過ごすのがささやかな夢ですね。

TJ: よく運動されますか?
SUGIZO: はい。すごく大切ですね。プロのアスリートや武道家の方々のように、僕たちにとっても体調管理は非常に重要です。体調が万全でないと、ベストの演奏ができません。僕たちひとりひとり、ギターやベース、Yoshikiさんのドラム、またToshiさんの声にとっては特にそうです。Toshiさんの声は高くて、すごく魅力的です。でも喉に特別なケアをする必要があります。ワールドツアーの時は特に、彼の声や体調の管理は最優先事項です。湿度や気温など、あらゆる条件が変わるので、僕たち全員にとって、特にToshiさんにとっては大変です。

TJ: X JapanとLUNA SEAで演奏するのは何が違いますか?
SUGIZO: スタイルです。X Japanで演奏するには体を鍛える必要があります。

TJ:ミュージシャンになってなかったら、何をしていたと思いますか?
SUGIZO: 何でしょうね。難しい質問ですが、画家か詩人、もしくは武道家ではないでしょうか。子どもの頃、ボクシングが大好きでプロになりたいと思っていたし、ブルース・リー氏が生み出したジークンドーを15年間続けていたんです。最近は練習していませんが、武道は今も好きです。

TJ: 音楽のインスピレーションはどこから得ていますか?
SUGIZO: 僕の音楽は非常に精神的なものです。普通のロックとは違います。演奏する時、そこにいる人や、世界中の人と一体感を感じたいと思っています。うまく説明できませんが、スピリチュアルで、宇宙的な体験をしたいのです。あらゆるジャンルの音楽を取り入れて、スピリチュアルな音楽を作りたいです。

TJ: 他の楽器についてはいかがですか?トランペットは今も演奏されますか?
SUGIZO: したいのですが、一番大切なバイオリンとギターに集中しなくてはいけないので時間がないんです。

TJ: 海外ツアーは今後も行う予定ですか?
SUGIZO: ぜひやりたいです。X Japanは今年2回目のワールドツアーをしようと考えていますし、LUNA SEAや自分のソロ活動といった他の活動もあります。でも全ての活動において、海外でも演奏したいと思っています。僕にとっては大切なことなのです。

TJ: ミュージシャンであることに満足していますか?
SUGIZO: はい。基本的にはとても幸せです。楽ではないです。生活やスケジュールは大変ですが、音楽が大好きなので幸せですね。僕の使命です。

TJ: 一番大変なことは何ですか?
SUGIZO: ハードスケジュールをこなすことです。いつも忙しいんです。ゆっくりする時間が全然ありません。そうしたいんですが。今年はそんな時間ができたらいいですね。

 

 

Photograph by Adrian Wilson

X Japan Rocks New York – Toshi

心に響くボーカル Toshi

苦難の12年を乗り越え、再びステージに

 

TJ: YoshikiさんとX Japanを結成された経緯を教えてください。
TOSHI: 彼とは45年前、まだ3歳か4歳だった頃に、幼稚園で出会いました。10歳の時に初めて一緒に演奏しました。その年、Yoshikiは彼のお母さんと弟と一緒にKISSのコンサートを観に行きました。僕たちは同じクラスで、僕はKISSの大ファンだったので、コンサートはどうだったかと聞きました。その年齢でロックの話をしている人なんて他にいなかったので、彼とはすぐ親しくなりました。当時僕はアコースティック・ギターは弾けたんですが、エレクトリック・ギターも演奏したいと思っていました。Yoshikiはエレクトリック・ギターとドラムセットを持っていたので、彼の家で、Yoshikiがドラムで僕がギターで、KISSのカバーをしたりしていました。まだバンドではありませんでしたが、それが僕たちが音楽を始めたきっかけです。

TJ: バンドはいつ始めたのですか?
TOSHI: 僕たちは幼稚園、小学校、中学校と同じでした。12歳か13歳の時に、何人かのクラスメートの中からギタリストやベーシストを見つけて、それで「3年生を送る会」っていうのがあって、その時に、ロックのコンサートをやりましょうということで初めてのステージに上がりました。

TJ: 初めからボーカルだったのですか?
TOSHI: 当時僕はギターを弾いていて、友達がボーカルでした。大きな中学校が2つに分かれ、僕たちは新設校に行くことになりましたが、ボーカリストは元の中学校に留まることになりました。ボーカリストがいなくなってしまったので、誰がボーカリストやる?ってことになって、Yoshikiが歌ったり僕が歌ったりして、バンド内でオーディションをやって、当然Yoshikiより僕が上手かったので、とりあえず僕がボーカルやってみようということになりました(笑)。

TJ: 英語はどのように勉強されたのですか?
TOSHI: ロサンゼルスには93年から97年までの3年間住んでいたので、その時少し勉強しました。レコーディングの時に発音の先生に教わりました。僕の先生はラリー・モス氏でした。彼は多くの有名俳優や女優に指導していて、Yoshikiも彼から教わりました。すごくいい先生です。

TJ: プロのボーカリストとして一番大変なことは何ですか?
TOSHI: やっぱり声の状態を保つこと。いつでもベストパフォーマンスができるように、体を整える、心を整えることが一番大切なことです。毎朝、納豆と玉ねぎをくちゃくちゃと回して食べています。そして、オーガニックのりんごと人参の生ジュースをスロージューサーで作って飲んでいます。体の抵抗力を養い体の良い状態を保つのにいいと思って毎日それを1年以上続けてきました。前に体の調子を崩して、ちょっと精神的にも肉体的にも大変辛い時期がありました。だけども、やっぱり食生活を見直したらすごく体もシェイプされて、元気になりました。今体調もすごくいいですし、最近は茶道を始めました。精神をすごく集中したり、茶道を勉強することで、日本の文化とか歴史、作法を同時に学んでいます。忙しいのでたまにしかできないんですけど、茶道をしている時が僕にとってはすごく精神のプラスになっています。

TJ: 去年は良い年でしたか?
TOSHI: そうですね。個人的には、「洗脳」という自伝を書きました。自分の過去をさらけ出すことで、自分の心にあったいろんなものがとてもクリアになって、何かけじめがついて、やっと新しい自分を踏み出すことができた。ファンの方や世間の方々に伝えることで、いろんなことがクリアになって、今後の自分の人生の道が見えてきました。だから今はすごくいい状態です。

TJ: ソロとしてはいかがですか?
TOSHI: ちょうどおとといまで、ファンイベントをやっていました。3日間。本を書いたことで、今いろんなテレビに出演したり、去年は日本で大きなニュースになったりしました。年末の特別番組の取材を受けたり、テレビのインタビューを受けたり、あるいはバラエティの番組にも出たりして、自分の活動の幅も広がってきました。ロックのコンサートもソロでやりましたし、クラシカルな会場でのコンサートもやりました。本を出したことで、すごくアクティブに自分の活動の幅がぐっと広がってきたし、自分の中から躍動感が出てきたので、今年はもちろんX Japanも新しくスタートすると思いますけど、僕自身もソロのプロジェクトを躍動感を持って進めていきたいと思います。

TJ: X Japanのメンバーでよかったと感じるのは?
TOSHI: X Japanは本当にもう長い間、それこそYoshikiと2人で作ってきて、いろんな困難やいろんなことがあって、そして今がありますよね。日本にたくさんのファンがいてくれるんですけど、長年一緒に育ってきたというか、長年一緒に歳を取ってきて、どんな時も熱狂的に応援してきてくれた。そんな不思議な感じなんですね。そういう感動がある。ファンの人の素晴らしさと、メンバーのそういう、一生懸命さ、真面目さっていうか。そういうところが大好きです。

TJ: 昔のX Japanと今のX Japanは何が違いますか?
TOSHI: 最初は、やっぱり若かったから、なんかともかくもう突き進んでた。パワーで押し切ってた。今はそこから20年、30年経ってそれぞれが大人になった部分はあります。でも、そういう気持ちとか、気合いとかは今の方がもっと強くなっていると思いますね。

TJ: X Japanのメンバーとして一番難しいことは何ですか?
TOSHI: Yoshikiが作ってくる楽曲、あるいはメンバーが作ってくる楽曲を、そのアートを作り上げるために僕の歌声を整えて、そのリクエストに負けないように出していくことです。

TJ: ギタリストのPATAさんについて教えてください。
TOSHI: 何て言うか、PATAを見るとどんな場面でもなごみます。ほっとします。かけがえのない、X Japanのほっとする場所というか。一番面白いですね、PATAは。

TJ: HEATHさんについてはいかがですか?
TOSHI: HEATHは、やっぱりかっこいいですね。ベースプレイを見てて、とてもかっこいいですし、なんかちょっと弟みたいな。そういう感じで、かわいい、かわいい存在。

TJ: SUGIZOさんについて教えてください。
TOSHI: SUGIZOはとても真面目で、音楽に対しても何の取り組みに対してもすごく熱心。真面目で熱心。勉強家だし、ストイックだし。見習うところがたくさんありますね。そしてSUGIZOを慕うたくさんの若いミュージシャンたちをかわいがるようなそういうパーソナリティもやっぱりSUGIZOらしいなぁと思って。微笑ましいですね。

TJ: YOSHIKIさんについて教えてください。
TOSHI: Yoshikiはなかなか一言では語れませんけども、やっぱりとても尊敬しています。彼の人生っていうものを、バンドということだけではなくて、ほんとにこんな人っているんだなっていうのを、おそらく彼の一番そばで一番長い間ずっとその時間を共有したり、見せてもらっていて、とても面白い。Yoshikiっていう人生を見てるだけで僕は感動もするし、興奮もするし、なんかとても楽しいものを見せてもらっている。だから、Yoshikiという人生を見る一番の特等席に僕はいて、将来はYoshikiという本でも書きたいなと思うくらい、彼の人生にはドラマがあります。だから、これからも仲良く、共にパートナーとして生き続けていくんだろうなぁという風に思います。

TJ: YOSHIKIさんは非常に才能ある方ですね。
TOSHI: Yoshikiはいろんな才能がありますね。例えば、びっくりするくらいに、英語の能力が高いと僕は思います。日本語より上手いかもしれません(笑)。

TJ: ご自身の性格について教えてください。
TOSHI: 難しいなぁ。いろんなことが人生あって、だまされたり、本当に大変な思いをこの十数年間してきました。本当にもうだめだと思ったり、もう死んじゃいたいって思ったり、どん底っていうものを見たんですけど、そこからでも考え方や自分の行動を変えて、よし、って前へ進んで行くと、たくさんの人が手を差し伸べてくれるんだなって。人は誰でも本当にやり直せるんだなっていうことを学ぶことができました。そういうことを僕は今、学び実践して生きていくことができている。Yoshikiもそうだし、今周りにいて僕をサポートしてくれる人もそうだし、世界中にいるファンの方々もそうだけど、やっぱり多くの人に支えられてるなっていう風に思って、すごく幸せだなって思います。

TJ: そういった体験について「洗脳」に詳しく書かれているのですか?
TOSHI: はい。日本では全国の図書館に置かれることになりました。これは永遠に置かれるんですね、もう。推薦図書といって、図書館で推薦されて、普通こういうアーティストとかが書くような本はそういうとこになかなか置かれないんですけども、今回は推薦されまして、図書館に全部置かれることになったんですね。今度中国語で出ることになりました。英語版も出版できればと思います。

TJ: デリケートな質問になりますが、HIDEさんとの思い出について教えてください。
TOSHI: いっぱいあるんですけど、1997年12月31日の東京ドームでのラストライブで、僕がその年に脱退を申し入れて、バンドは解散することになりました。だからラストライブの時に、僕はステージの上に立ちましたけれども、メンバーにも申し訳なかったし、ファンにも何を言っていいかわかんなくなってしまって、ステージ上でしゃべれなくなってしまったんです。その時にHIDEが近寄って来て、「Toshi君パーッといけよ、パーッと」っていう風に僕に声を掛けてくれたんですね。そのHIDEの笑顔とその言葉で、僕はすごく吹っ切ることができて、それがとても嬉しかった。HIDEってそうやってすごく気遣って、僕がうまく歌えなくてレコーディングで落ち込んでる時とかもスタジオに来て、ちょっと声を掛けてくれたり、ちょっと冗談を言って和ましてくれたり。そういう気を遣って、人をうまく持ち上げてくれたり、気分良くさせてくれたり、気持ちを安らかにしてくれる、そういう存在だったんです。最後のコンサートの時に声を掛けてくれて、最後素晴らしいパフォーマンスをHIDEが引き出してくれた。その時のあの笑顔が忘れられないですね、本当に今でも。

TJ: 素晴らしいミュージシャンだったんですね。
TOSHI: はい。亡くなってから10年以上経つけれども、今でも彼のミュージックビデオとか見ると、とてもかっこいい。音楽性も高いし、ファッション性、やっぱカリスマ性があるっていうか。すごくかっこいいですね。

TJ: TAIJIさんについて教えてください。
TOSHI: TAIJIは日本で一番上手いベースプレーヤー。もう日本でナンバー1のベースプレーヤーだと思います。あと個人的にもやんちゃな弟みたいな感じで。アマチュアの頃には彼が僕のステージ衣装を毎日一緒に徹夜して作ったりと、とても親しくしていたので、彼が亡くなったことも本当にもう残念で無念ですね。日本で一番かっこいい、そして一番うまいベースプレーヤーだと今でもそう思っています。

TJ: 将来海外に住む予定は?
TOSHI: ロサンゼルスかロンドンに住みたいですね。ニューヨークも好きです。パリにも行きたいです。海外で生活するのは好きですね。

TJ: 音楽以外のご趣味は?
TOSHI: 今お話したように、茶道と、それからアンティークジュエリーについて勉強しています。アンティークのジュエリーが好きなんです。その歴史と文化を学んでいます。

TJ: 将来の目標は?
TOSHI: まだよく分からないですけど、やっぱり今は、自分が経験したことを伝えていく活動をしたいです。自分が経験してきたこと、勉強してきたことを、自分に子どもがいない代わりに、子供たちに伝えるような機会をこれからも持って行きたい。そういうのは一生かけて地道にやっていけばいいなって。そのために今は音楽の世界で活躍したり、世界中で音楽を広めてったりしながら、片方で自分のそういう経験を伝えていきたいなっていう風に思います。

TJ: 音楽業界で、一番尊敬する人は?
TOSHI: Yoshiki。ほんとに。彼ほどすごい人は見たことない。やっぱり音楽の世界でも彼の才能、それと彼のパーソナリティーをとても尊敬しています。だから一緒にずっとやっていけるんですけど。素晴らしいです、彼は。

 

 

 

Photograph by Adrian Wilson